住職の小話

 

鹿児島 布教に行ってまいりました。講話の前のお斎はとてもおいしくいただきました。有難うございました。合掌

浄土宗の開祖法然上人は御法語の中で「魂」という言葉を使われています。『元祖大師御法語』前篇22章に「屍(かばね)(死体)はついに、苔の下にうずもれ、たましいは独り旅の空に迷う」と肉体から魂=私が離れていく様子が述べられています。

われわれ人間だけではなく万物の生き物全てに寿命があり永遠に生き続けられるものはありません。

阿弥陀さまを信じてお念仏をお称えしていれば、人間である私、魂=私はこの身体が滅されたのちにお浄土へと向かわれるといいます。
お念仏をもうしているとその声は阿弥陀さまに届いて、阿弥陀様はこちらを振り向いてくれるのです。

お浄土に往生を願い中陰には極楽に往(い)った亡き人を包んでいる蓮華の花が開くことを願い、追善の心を捧げます。中陰とは残された者の悲しみや苦しみを癒すとともに、亡き人への想いを深めるための期間なのです。

月や夕陽、海、山を見て、そこに仏や先祖の魂を感じることがあるかと思います。「いのち」のつながりを感じ取るときには、不思議な縁(えにし)を感じます。それは、身体を通して「生命」と、過去・現在・未来を通して自分との連なりが合流することを感じるからこそであります。

人間の体の中にあり、精神や生命を支配する目に見えない存在が霊魂(れいこん)、魂です。人間という個体を内側から成り立たせる根源になるものです。誰もがいずれは寿命を迎え、彼の国へ召される時が来ます。阿弥陀さまのご縁をいただくことで何か心が安らぐような気がします。南無阿弥陀仏 忠春拝 h.30.3.27


わたしたちは、他人の過ちにはよく気がつく。隣人や友人がどんなことをいったか。どんなことをして自分に迷惑をかけたか。いかに約束を守らなかったか等 そういうことには敏感で、時にして陰口や不平をいうものである。これにたいして、自分がしたことを正確にみることを、私たちは苦手とする。 忠春拝

 

人との出会いは不思議である わたしたちは思いがけないときに思いがけない人と出会う 多くの人の行きかう中で待ち合わせをしているとき、何年も会わずにいた人に偶然出会う。同じ空間にいながら、何年も気づかずにいることもある ご縁があるというのはそういった日常の中で選ばれ出会うことのようだ 忠春拝

 

人は幸福を願うものである。善をなす者も、悪をなす者も、幸福を願っている。時として人は、どうしてあんなことをと思うことがよくある。つまり、悪をなす者は、幸を願いながらの手段を誤ってしまうのだ。ブッダはそういった人間の幸福に達する正道を説いている。忠春拝

 

人に生まるるは難く
今生命あるは有難く
世に仏あるは難く
仏の教えを聞くは有難し

生きる上でどうしても避けられないことがあります。それを嘆くことだけではなく 
「無常の現実」を受け止めるしかない時があります。 仏陀はそれらが現実であると説いております。
生きることは 楽だけではありません悲しみや苦しみも同時に背負うことになります。
生きることは難しいだけに「有難い」ことであり、「有難い」と気づいたときに人間として生まれた
喜びを感謝する事が大事です。 忠春拝

法爾の道理という事あり

炎は空に向かって昇り、水は低い方に下がってゆく 菓子のなかにも酸っぱいもの甘いものもある それらはすべて法爾の道理だというのである。 これと同じように  阿弥陀仏の本願は名号を称えれば その功徳によって衆生を(我々)を導いてくださるという 仏の来迎は自然法爾であって疑うことはない。               〜法然上人のことば〜より

元祖(法然上人)さんは800年以上も前に 世の中の理を 言葉にして伝えていました。それがどんなに凄いことか..

お念仏の教えは当時、沢山の人々を救いました。平成天皇からもそのお徳を讃えられ大師号を加謚(かし、おくりな)されたほどです。

お釈迦様より伝来されてきた教えが、法然上人によって今もなお人々の心の安寧に繋がっているのです。 忠春拝

 

 平成23年3月16日、天皇陛下より、宗祖法然上人に対して大師号「法爾」が加諡宣下され、宮内庁において羽毛田宮内庁長官から浄土門主・総本山知恩院門跡伊藤唯眞猊下に伝達されました。

「法爾」とは、あるがままの理(ことわり)を意味する「法爾道理」「自然法爾」からとられたもので、法然上人の名前の由来でもあります。

「圓光」「東漸」「慧成」「弘覚」「慈教」「明照」「和順」につづき、これで8つ目の大師号となります。

ちなみに真言宗の開祖 空海さんは 弘法太子 天台宗を開かれた最澄さんは 伝教大師という大師号を頂いております。


大師号とは、徳の高い高僧に朝廷から贈られる名のことであります。 法然上人の生前の徳を讚えて、滅後480年余に朝廷より賜った大師号は、500年遠忌の 行なわれた宝永8年以降、50年ごとに加謚される習わしとなり、現在までに下記のよ うに賜っています。

大師号

天皇

備考

圓光大師

東山天皇

1697年(元禄10)

 

東漸大師

中御門天皇

1711年(宝永8)

500回忌

慧成大師

桃園天皇

1761年(宝暦11)

550回忌

弘覚大師

光格天皇

1811年(文化8)

600回忌

慈教大師

孝明天皇

1861年(万延2)

650回忌

明照大師

明治天皇

1911年(明治44)

700回忌

法爾大師

今上天皇

2011年(平成23)

800回忌

 法然上人が浄土宗をお開きになり民衆を救うお念仏を広めたことでどれだけの人々が救われた事でしょう。

今の時代においても法然上人の功績は多くの人々に受け入れられ救いとなり受け継がれているのです。 忠春拝

 

文化祭に展示された作品です。

 『仁徳の備わった人は、欲に動かされず心が穏やかでゆったりとしているので、おのずから安定したどっしりとした山を愛するものであるということ』「仁者じんしゃは山やまを楽たのしむ」と訓読する 次回は名前も書けるように頑張ろう!!

 最近の更新はhttps://twitter.com/otera_shojoin が多いです。小話の更新がおろそかになっていました。
 子どものころに「一休さん」という漫画をみてお坊さんになって修業がしたいと憧れた時期がありました。和尚さんの元で修業を行っている一休さん。とんちは鮮やかですが、いたずらもあり、おっちょこちょいな一面もあり。修行僧ですが、子どもながらに「楽しそう」だなって思っていました。でもエンディングでは「母上様おげんきですか..」と悲しいお歌が流れます。母親と別れての修業はさぞつらかったことでしょう。
 私も人事ではありませんが、実際に修業をとなると家族から離れての生活になるわけです。特に年単位になるとかなり辛いものがありました。生活がまるっきり変わるわけですから、今までどんなに恵まれていたのか嫌でも自覚するわけです。しかし、祈りの誓いは続けなければなりません。 現実には世の中は明るい話題、エンターテイメント的な毎日が更新されるわけですが、修業の世界ではそうはゆきません。まずテレビも、ラジオも、携帯はもちろんありません。暖房も冷房もです...苦しみを経験するわけです。
 そんな中、楽しみといえば究極の坊主ネタになるわけです。それこそ色々なものに眼が肥えて鋭くなるわけです。とにかく色々な事が笑いにつながるのだなと実感できました。一休さんのあの明るさもきっと修業の中から生まれた究極の姿だったのであろうと感じる今日この頃です。

平成29年10月26日

 

 数年前まで、うちの施設に暮らしていたA君が遊びに来た。あらためて見ると大きくなったと感じる。野球をしているせいか、適度に日焼けをしていて健康的だ、人懐こくて明るい素直な子である。ひとつ上のB君と何やら会話をして手紙を書いていた。ゲーム?

キャラクター?よくわからないがとにかく子ども達の情報伝達は凄まじく広い。話題にもとても敏感だ!!帰り際にA君はB君に「B君6年生に見えない!」といきなり言い始める。自分と背丈が変わらないからだ。B君も「そっちこそ5年生に見えない」と応戦する。

4,5歳から一緒にくらしていた子たちも、もうすぐ中学生です。元気に育っていることに感謝です。

施設には門司一徹さんという方や平将門さんという方、チュチュアンナさんのような企業さん等から色々なご寄付が送られてきます。

大変ありがたいことです。 


いつかは羽ばたいてゆく子ども達、元気に育ってほしい。南無 忠春拝

 

『はじまりは自宅から』

 当寺は小美玉市に誕生した浄土宗の新寺です。浄土宗(京都)から委嘱をされ、この地の開教使として布教活動を行うよう任命されました。関西の師の支えや東京の師の勧めもあり念願の住職に就任しました。自宅からのスタートですが皆さんどうぞよろしくお願いします。

合掌 平成29年8月3日

 

『諦めるは明らめる』

 仏教の世界では、諦めることを「明らめる」と表します。
あきらめるとは断念するということではなく、事実を明らかに見るということであり、現実をありのままに受け入れるという意味にほかなりません。
現実を利害関係なしに見る眼と、感情にとらわれずに起こったことを受けとめることができれば、心は穏かになるのです。

平成29年8月2日

 

『子どもたちとの記念に』

以前、施設で支援していた児童が住んでいる寮に立ち寄りました。夏休みということもあり、カブトムシや、バッタを見せてくれました。 トランプをしたり、お話したり。大きく成長していることに感動しました。来たばかりのときは毎日泣いていて『堤さん帰らないで』とよく泣かれたものでした。平成29年8月1日


 

『お寺を造ることA』
『開教しました。お寺を造りましょう。』といっても境内や伽藍(建物)を整備するには財がなければ叶いません。私は勤め人ですから祈りの場所を自宅に設え、そこを礼拝所といたしました。浄土宗の宗祖法然上人はご法語の中でこう言っています。

『法蓮房申さく、
古来の先徳、皆その遺跡(ゆいせき)あり。
しかるに、いま精舎一宇(いちう)も、建立なし。
御入滅の後、いづをもてか、御遺跡とすべきやと。

 上人答え給はく、
あとを、一廟にしむれば、遺法あまねからず。
予(わ)が遺跡は、諸州に遍満(へんまん)すべし。
ゆえいかんとなれば、念仏の興業(こうぎょう)は、
愚老一期の勧化(かんけ)なり。
されば念仏を、修せん所は、貴賤を論ぜず、
海人魚人が、とまやまでも、皆これ、予(わ)が遺跡なるべしとぞ、
おおせられける。

(訳)
 法蓮房信空上人(弟子)が法然上人に尋ねます。
「古来より徳のある素晴らしい業績を残された僧侶には、
 皆それぞれ遺跡(後の世に残す思い出を偲ぶ場所)があります。
※最澄は天台宗比叡山。 空海は高野山金剛峯寺
それなのに、法然上人は寺院を一つも建立されていません。
法然上人が亡くなられた後には、どこを遺跡とすればよいのでしょうか?」

 法然上人がお答えになられます。
「遺跡を一つの寺院に定めてしまったならば、
私が残した教えが全てにゆきわたることがなくなってしまう。
私を偲ぶ遺跡は、きっとありとあらゆる場所にゆきわたるはずである。
それはなぜかと言うと、念仏を世に広めることは、
この私が生涯をかけて教え導いてきたことである。
だからお念仏申す人がいる所は、身分の貴賎などは問題ではなく、
漁師や海女の茅葺(かやぶ)きの家まで、
これら全てが、私を偲ぶ遺跡となるのである」
と仰せになられた。

ここで法然上人は念仏を申す人がいるところは『身分の貴賎』『建物の有無』等、問題ないことであるとおっしゃっています。そう考えますと私の祈りの場所は法然上人のご遺跡地の一つになるはずでしょう。
やがては地域の人々が祈り供養できる場所を将来をかけて整備したいと考えています。
そこも もちろんご遺跡地です。みんなの寺です。 忠春拝 

平成29年7月31日

 

『マハヤナ学園』
長谷川先生のご出身の御寺院に御挨拶に伺いました。
セツルメント運動をされマハヤナ学園、淑徳大学を設立された本宗の社会事業家でもあった大僧正でもある人で、ブラジル開教をされた先駆者でもある。そんな尊敬のできる先生のお位牌を前に手を合わせて祈ることができた。南無 忠春拝
平成29年7月6日


長谷川良信先生

 
『児童養護の子どもたちA』 @はブログへ

 児童養護施設の朝は戦場である。というのは過去の話かもしれません。少なくとも私の施設ではのことですが...

私がこの施設に働き始めたころに特に感じたことは、子どもたちの目覚めが悪いこと、悪いこと その事にかなり悩まされました。

私は朝の男ですから、朝早く家を出て子どもたちを登校させるという役目が主になります。子どもたちがどういう風に夜や週末を過ごしているかが気になって仕方がありませんでした。 実際に子どもたちに尋ねてみると、案の定夜更かしをしているではないですか?!そういうことが起きれない原因の一つになっていたのです。 

 しかし、よくよく子どもたちとの関わりを強めてゆく中でわかったことは、眠れない... 不安... 帰りたい...等様々な理由からでした。そうだよな.. 本来であれば家族とともに暮らして両親や兄弟と一緒に眠りにつくのが普通のことなのに.. やすらぎの中にいられないということは、それらを求めるんだな..と そうです!夜はとても不安になるんです。学校での事、友達の事、次の日の学校や出来事に不安を覚えるんです。 そういう子どもたちとの現場での関わりは非常に大切なことです。何も言えなくても、寄り添ってあげるだけで安らぎを与えられるからです。 子どもたちの不安や、悩みはすぐには解決しません、長い時間をかけて愛情を注ぎこむことなんです。 平成29年 7月4日 忠春拝


『お寺を作ること@』

私はある思いがあり出家しました。出家とは家を出る事です。仏祖お釈迦様も王の位を捨て家をでました。僧になるためには、自分の自我を得るのではなく捨てるという事の為に生活を変えてゆかなければなりません。私の場合、京都の佛教大学専修科で学問を学び、同時に総本山知恩院や大本山清浄華院での小僧生活の中で法務のお手伝い、法式、詠唱、を学び、寮生活の中で和合を学びました。貴重な学び、経験を得られた事、そして仲間との出会いが何よりの宝になり僧侶として申し分ない修業を収めました。
私はお寺の出身ではありませんから、住職になるお寺がありません。もちろん所属寺院はありますが... 法然上人のお膝元で修業したことですから、いつかは御縁のあるお寺の住職になり、素晴らしい仏教の教え、法然上人のみ教えを少しでも多くの方に伝えたいという気持ちがだんだんと強くなってゆきました。同時に自分の祈る場所がほしかったのです。
浄土宗では平成15年ごろから国内開教施策を始めていました。浄土宗のお寺のない地域や人口が増えている、そういった地域への開教です。私はある東京の御上人からの御縁で、浄土宗国内開教施策の御縁をいただきました。この御上人との御縁がなければ「開教しよう」、「お寺を造ろう」というところまではたどり着けなかったであろうと考えております。 続く...
平成26年6月25日 忠春拝 

  

 

                    

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