清浄院:今月の言葉
怒りに怒りで応じると、ますます激しく燃えさかります。そして、怒りの心は、自分も相手も、周囲をも傷つける結果となることもあるでしょう。「ぐっとこらえて」一呼吸おきましょう。張り詰めた空気が変化してきます。諸行無常というブッダの言葉があります。すべての現象は移りゆき、永遠に同じ状況ではないという意味です。世界中とはいかなくても、多くの人たちが、そうした言葉の意味を理解する事で、日常の争い事や戦争も止められるかもしれません。怒りの感情が生じても、いつかは滅します。永遠に怒り続ける事はできません。よく考えてみたら、「なんだそういう事だったのか」と後になって自分の無知さに気づくかもしれませんね。合掌
一般的には「縁起が良い、悪い」など、幸不幸の前兆的な意味や、寺社仏閣や仏像などの由来や沿革を指す言葉として用いられます。しかし本来の意味は、仏教の重要な教説を指す言葉です。仏教では、日常で生じる〈怒り〉〈不安〉〈猜疑心〉などなど、それら全てを〈苦〉と表現します。その〈苦〉の原因には〈無明〉が存在します。〈無明〉とは自己中心性と言います。自分の事しか見えていない、視野が狭い状態です。この状態から何か行動を起こしたり、発言をしたり、思考すると、巡り巡って〈苦〉が生まれる。〈無明〉→〈苦〉
一方〈無明〉を抑え、他者への共感性、慈悲を持つことで、結果的に〈苦〉を滅する事ができる、この考えが〈縁起〉です。 善き縁を大切にしたいものです。合掌
自分の信念を他人に伝えたときに、相手から「そんなことはあなたには無理だ」とか「やめた方がいい」などと、反対されたり、非難されたりする場合があります。また、人によっては、あなたを馬鹿にしたりする人もいるかもしれません。他人から自分の信念を反対されたり悪く言われた場合、心が傷つき、「自分は間違っているのだろうか?」と、自分の信念が揺らいでしまうこともあるかもしれません。しかし、そんなときでも自分の心の声を信じ、行動する勇気を持ってください。他人の声なんて気にする必要はないのです。あなたの人生はあなたのものであり、他人のものではありません。あなたの人生の責任はあなた自身にあるのです。 合掌
私達には色々な悩み事があります。財産、異性、地位、等々、しかし所詮それ等は避けて通れる問題ですが、どうしても避けて通れない問題は「生死」です。どんなに財産があろうとも、どんなに権力があろうとも、必ず「死」というものはやって来ます。しかも、それはいつ、どんな形でやって来るかわからない代物です。「光陰(時間)惜しむ可し」、まだまだと思っている間に時間は過ぎ去って行きます。一寸、一刻を大切にしなければなりません。この世は無常そのものです。人生は長いと思っていても、いつの間にか終わりが近づいていますが、私達にはそれぞれ成すべき「道」があり「目的」があるはずです。それに向かって雑用心する事なく邁進すべきです。 合掌
幼児期、病気が原因で両手両足を切断するが一人で生きていけるよう、母の厳しくも愛情のある子育てにより自立できるようにと10才の頃、手足のない久子さんに母が着物を与え、「ほどいてみなさい」と言った。「どうほどくのですか?」と聞くと「自分で考えてほどくのです」と。母は一つのヒントも与えず、「人間は人の役に立つために生まれてきたのです。できないことはありません。」と厳しく育てられた。どんなに困難な人生だとしても、ご先祖や母上より与えられた命、生かされている自らに気づかされ、その事実に喜びを感じる久子さんの思いが詰まった言葉だと思います。 合掌
他人や世間と比較しない事。比較をすると挫折してしまう事もある。禅(ぜん)の言葉には「莫妄想」という言葉がある。妄想すること莫れ(なか)、という意味になり、この「妄想」とは、禅の世界では、考えや想いに囚われている状態をいう。この「妄想」は執着心とも言い、簡潔に言うと比べることである。美しい物、醜い物、良い物、悪い物。自分の中で勝手に決めつけ、自分と他人を比べ、自分を卑下したり、他人をうらやましがったり、囚われたり、固執したりする。しかしそれらはすべて妄想であって自ら作りだした悩みや苦しみの元となっている。自分の中で勝手に決めつけ、ありもしない未来に囚われる。妄想を断ち切り、自分にできることに専念することが「莫妄想」となる。合掌
たとえば、炎は空に向かって昇り、水は低い方に流れます。果物の中には、酸っぱい物もあれば、甘い物もあります。法爾の道理とは「動かしようのない自然の道理」を表します。私たちも自然の道理の中に生かされているという事です。御仏の救済も道理にかなえば叶うという事です。お念仏に励みましょう。−法然上人の言葉−
他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ。 −トルストイの言葉−
「和顔(わげん)愛語(あいご)」は、「和顔」はやわらかな顔、「愛語」はやさしい言葉。つまり、文字通り、笑顔で愛情のこもった言葉で話すことです。この言葉は『無量寿経(むりょうじゅきょう)』に出てくる言葉です。
法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)が阿弥陀仏になるために修行に励んでいるところで、「和顔愛語にして、意を先にして承(じょう)問(もん)す」とあります。現代語版では「表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手のこころを汲(く)み取ってよく受け入れ」と訳されています。
人間関係にはとても大切な態度ですが、心に余裕がなければなかなかできるものではありません。現代のような殺伐(さつばつ)とした世の中では、なおさら必要ですね。
般若心経では「色即是空 空即是色」という風にフレーズが続きます。
「この世のものすべてには実体がなく、同時に、その実体のないものが縁によって、私たちの目に見える存在になっている」という意味です。
色は刻々と変化します。そこに存在があるように見えて、つぎの瞬間には変わってしまうような存在であるからこそ、空(くう)であるとしたのです。その空(くう)もさまざまな縁があるから存在が見えるという意です。「諸行(しょぎょう)無常(むじょう)」=もろもろの行いは常に無である。昨日・今日・明日の自分も少しずつ変化をしている。留(とど)まることを知らない、まさに無常を説(と)いています。
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